温泉エッセイスト山崎まゆみさん連載コラム 鹿児島の湯力

鹿児島の湯力ったら、そりゃもう半端ない。歴史も凄い!
鹿児島に行く度に、そんなことを呟いてしまいます。
だって、維新の志士たちが入った温泉がいたるところにあるのです。
それが名湯揃いなのです。

写真提供:指宿 白水館

温泉エッセイストノンフィクションライター山崎まゆみ VISIT JAPAN大使/武雄温泉大使/にいがた観光特使/越後長岡応援団

世界31ヶ国の温泉を巡り、日本と世界の温泉文化の違いをテレビ、ラジオ、新聞、雑誌などの各メディアで伝えている。また日本の温泉文化を海外に発信している。
著作には『だから混浴はやめられない』『おひとり温泉の愉しみ』『恋に効く!パワースポット温泉』『お風呂deダイエット』、新刊には脳科学者の茂木健一郎氏との共著『お風呂と脳のいい話』、ノンフィクションライターとして戦争体験者への聞き書きを記した『ラバウル温泉遊撃隊』、最新刊に『白菊-shiragiku-: 伝説の花火師・嘉瀬誠次が捧げた鎮魂の花』などがある。

坂本龍馬が新婚旅行で訪れた霧島

坂本龍馬が“日本初の新婚旅行”で霧島を訪ねたのは、今も語り継がれる有名な話です。この旅で、日当山温泉や塩浸温泉、硫黄谷、栄之尾温泉を楽しんだといわれています。
また、龍馬は計十八日間も塩浸温泉に逗留して、傷を癒しました。龍馬が入浴したとされる塩浸温泉は今も川沿いに遺構として残っています。
龍馬が癒された塩浸温泉には、現在は共同浴場で入ることができます。湯船は褐色の湯花がびっしりとこびりついています。湯を手ですくいあげると、ねっとりとした感じ。舐めると塩っ辛く、入ればどくどくと玉の汗が顔に滲みます。
薩摩藩家老・小松帯刀は病弱で、度々、栄之尾温泉に逗留していたそうです。その際に、見舞ったのが、坂本龍馬です。小松帯刀と龍馬が湯を共にし、語らいの場を持ったであろう湯船が、現在の霧島温泉郷岩崎ホテルの敷地内に浴槽の遺構として残っています。
当時の絵図にはこの浴槽から桜島をはじめとする錦江湾が一望できた記述がありますが、残念ながら、現在は木々が茂り、錦江湾が見えなくなっています。
ただ、小松帯刀と坂本龍馬が入った同じ源泉を愉しむことができます。森の中の野天湯「緑渓湯苑」です。湯上りには、肌から湯がさばっと離れていく感じのさっぱり系の硫黄泉。清涼感がたまりません。また、こちらには大河「龍馬伝」のロケ地にもなり、坂本龍馬役の福山雅治さんが入浴した湯船もあります。

霧島名物と言えば、黒豚でしょうか。奥深い甘味のある豚の脂身が印象的です。

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塩浸温泉龍馬公園

霧島いわさきホテル「緑渓湯苑」

いぶたまで行く、指宿温泉

九州新幹線開通の翌日、JR鹿児島中央駅から指宿駅までの枕崎線に観光特急列車「指宿のたまて箱」、通称「いぶたま」が開通して、今では人気列車。
最南端にある長崎鼻の龍宮伝説にあやかってのこのネーミングで、車体のロゴにはリボンのついた玉手箱がデザインされてあり、夢を運ぶ列車です。その車窓からの風景は、錦江湾が広がっています。

さすが、鹿児島のなかでも南端にある指宿温泉に着くと、空にすくっとそびえたつヤシの木や原色のハイビスカスが美しく、日本でないようなエキゾチックさをかもし出し、南国を彷彿とさせます。
指宿温泉名物はやっぱり砂蒸し風呂でしょうか。
私も白水館にある砂風呂を体験しました。汗をかくであろうと想像できたので、たくさんの水を飲んで、飲水所に置かれてあった梅干しを食べて、砂蒸しを試みました、
専用の浴衣姿で、温かい砂の上に寝転んで砂をかけてもらうと、ずっしりと重たい砂が全身にくまかくかけられました。身動き取れなくなってしまいます。係員に、「15分をめどに」と言われましたが、砂の重たさや、じわじわと地熱で温まる無理のない温まり感が快感となり、30分近くも愉しみました。その間、ドクドクと血液が流れ、顔にしたたる汗も面白く感じ、砂から出てきたときには、体中の汗を出し切った感じの充実感!

白水館には、江戸の元禄の頃を再現した元禄風呂があります。柘榴の湯や浮世風呂など趣向をこらしています。
湯はナトリウム塩化物泉。入浴中に肌に塩の膜をはるために保温効果は抜群です。 また白水館には薩摩の古美術が展示された多目的ホールの伝承館があり、白水館の滞在だけで十分に楽しめる仕組みも嬉しかったです。
名物のきびなごの刺身やお芋のさつま揚げなどにも、夕食をたらふく食べて、また風呂へ。どくどくと汗をかき、爽快感が忘れられません。

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観光特急列車 指宿のたまて箱 いぶたま

砂むし温泉

指宿温泉「白水館」元禄風呂