登別温泉の歴史と特徴

アイヌ語で「白く濁った川」を意味する「ヌプルペツ」に登別の地名は由来しています。登別温泉といえば、乳白色の硫黄泉が思い浮かびますが、しかし実際の登別の湯は、塩化物泉、含アルミニウム泉、硫酸塩泉、含鉄泉、ラジウム泉など、源泉によって泉質が異なるのが特徴。世界的にも非常に珍しい、多彩な泉質を誇る温泉です。
歴史上に登場するのは、江戸・寛政2年(1790年)に探検家・最上徳内が記した「蝦夷草紙」のなかでのこと。江戸・弘化2年(1845年)には、北海道の名付け親である松浦武四郎が「蝦夷日誌」のなかで登別の魅力を紹介しています。「湯治の祖」と呼ばれる滝本金蔵が安政5年(1858年)にこの地を訪れ、道路など温泉地としての基盤を築き、後に日露戦争の傷病兵の保養地に指定されるまでに発展しました。
自然湧出量は1日1万キロリットル。町の中心から歩いて行ける場所に間欠泉が湧く地獄谷があり、温泉が煮えたぎる様子を間近に見られます。地獄谷には鬼が棲むという伝説から駅前を始めとする至る所に、赤や青の鬼が仁王立ち。そんな鬼たちとの記念撮影もお忘れなく。
登別温泉のみどころ
![]() 登別温泉の中心部にある間欠泉。約3時間ごとに温泉が、轟音とともに噴き出す様子は迫力満点! |
![]() 直径は約450mにおよぶ日和山の爆裂口跡。中央部には「鉄泉池」と呼ばれる間欠泉があり、遊歩道で観に行くことができる。 |
![]() 温泉街からロープーウェイで約7分で行けるヒグマの牧場。現在飼育されているヒグマは約100頭。世界で唯一のクマ専門博物館も敷地内に。 |